三結とは? わかりやすく解説

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三結

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/24 17:16 UTC 版)

三結(さんけつ、: tīni saṃyojanāni, ティーニ・サンヨージャナーニ)とは、仏教において、預流果を得ると断たれる3つの煩悩の総称。「」(けつ、: saṃyojana, サンヨージャナ)とは「束縛」のことであり、「三結」は「3つの束縛」を意味する。

三結の内容は、以下の通り[1][2]

  1. 有身見(うしんけん、: sakkāya-diṭṭhi) - 五蘊自己とみなす見解[1]
  2. (ぎ、: vicikicchā) - 教義への疑い
  3. 戒禁取(かいごんしゅ、: sīlabbata-parāmāsa) - 誤った戒律・禁制への執着

有身見

Katamañca bhikkhave, sakkāyo: Pañcupādānakkhandhātissa vacanīyaṃ,
Katame pañca, Seyyathīdaṃ: rūpūpādānakkhandho vedanūpādānakkhandho saññūpādānakkhandho saṃkhārūpādānakkhandho viññāṇūpādānakkhandho. Ayaṃ vuccati bhikkhave, sakkāyo.

比丘たちよ、有身とは何か? それは五つの取蘊である。
いかなる五か? 色取蘊、受取蘊、想取蘊、行取蘊、識取蘊である。比丘たちよ、これが有身である。

有身見: sakkāya-diṭṭhi: satkāyadṛṣṭi: 'jig tshogs la lta ba)、我見(がけん)とは、sat (存在) + kāya (身体) + diṭṭhi () であり、五悪見のひとつとされている[2]

一般的には「個々の自我に対する信念」や、単に「自己観」とされ、「(アートマン; attan)が恒久的な存在であるというの信条」である[3]。仏教ではアートマンが無常であるという無我(アナッタン)の立場を取るためである[2]

パーリ経典では、釈迦は以下のように有身見を記載している。

では比丘たちよ、どのようなものが捨てられるべき煩悩であるのか?
比丘たちよ、ここに(法の教えを聞いていない)庶民の人がいるとする。 ..(中略)..彼らはこのように不適切に考える。

  • 私は過去に存在したのか? 過去の私は何物だったのか?
  • 未来に私は存在するのか? 未来の私は何物となっているか?
  • 私は何物なのか? 私はどのようであるか?
  • 私はどこから来たのか? 私はどこへ行くのか?

このような間違った方法で考えるものは、これら6つの見解に至る。

  • 私には我(アートマン)がある
  • 私には我がない
  • 私が我と知覚しているもの、それが我(アートマン)である
  • 私が我と知覚しているもの、それは我ではない
  • 私は無我によって、私の我を知覚する
  • いま語り感受している私こそが我であり、私の我は恒常であり、不変であり、永久に存在する(常見

比丘たちよ、これらは、悪見、見の密林、見の荒野、見の曲芸、見による狂乱、見による結束と呼ばれている。

法蘊足論では「五取蘊に対して我・我所の想を起すことにより忍・楽・慧・観・見を生じること」、 界身足論では「五取蘊を随観して、我・我所を把握して忍・楽・慧・観・見を生じること」と述べられている [4]

二十有身見

二十有身見二十身見とは、五蘊(色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊)について、それぞれ「この蘊が我である」「我とはこの蘊である」「蘊があるため、その中に我がある」「我があって、その中に蘊があるる」との見を持つこと[4][5]

諸比丘! ..(中略).. 愚癡無聞凡夫見色是我、異我、我在色、色在我;
見受、想、行、識,是我、異我、我在識、識在我。

比丘たちよ、..(中略).. 愚かで無知な人々はこう考える、色が我である、我とは色のことである、私の中に色がある、色の中に私がいる。
受、想、行、識もそう考える。識が我である、我とは識のことである、私の中に識がある、識の中に私がいると。

雜阿含経, 109

四向四果における三結

四向四果
(解脱の10ステップ, パーリ経蔵[6]による)

到達した境地(果位) 解放された 苦が終わるまでの輪廻

預流

1. 有身見 (我が恒久であるという信条)
2. (教えに対しての疑い)
3. 戒禁取(誤った戒律・禁制への執着)

下分結

最大7回、欲界と天界を輪廻する

一来

一度だけ人として輪廻する

不還

4. への執着(欲愛
5. 憤怒瞋恚, パティガ)

欲界及び天界には再び還らない

阿羅漢

6. 色貪
7. 無色貪
8. , うぬぼれ
9. 掉挙
10. 無明

上分結

三界には戻らず輪廻から解放

脚注

  1. ^ a b P.A.パユットー 著、野中耕一 訳『ポー・オー・パユットー 仏教辞典(仏法篇)』、2012年2月、サンガ、p.202
  2. ^ a b c 藤本晃著『悟りの4つのステージ : 預流果、一来果、不還果、阿羅漢果』サンガ、2015年11月、Chapt.3。ISBN 9784865640267 
  3. ^ Rhys Davids & Stede (1921-25), pp. 660-1, "Sakkāya" entry (retrieved 2008-04-09). See also, anatta.
  4. ^ a b 木村紫「『俱舍論』を中心とした有身見の研究 : 刹那的な諸行を常住な一個体(piṇḑa)と把握する想と聖者の諦」『立正大学 博士論文』2016年3月20日、 NAID 500000984239 
  5. ^ 袴谷憲昭「二十種有身見考」『駒澤大學禪研究所年報』第29巻、2017年12月、81-109頁、 CRID 1050569000710270208 
  6. ^ 中部22 蛇喩経など

関連項目


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