渡辺二郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/28 14:50 UTC 版)
基本情報 | |
---|---|
本名 | 渡辺 二郎 |
階級 | スーパーフライ級 |
身長 | 165cm |
リーチ | 170cm |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1955年3月16日(70歳) |
出身地 | ![]() |
スタイル | 左ボクサータイプ |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 28 |
勝ち | 26 |
KO勝ち | 18 |
敗け | 2 |
渡辺 二郎(わたなべ じろう、1955年〈昭和30年〉3月16日 - )は、日本の元プロボクサー(大阪帝拳ジム所属)、元WBA・WBC世界スーパーフライ級王者。2011年時点では暴力団幹部であった(山口組系極心連合会相談役)[1]。 コンバーテッドサウスポーであり、右利きのサウスポーだった。
来歴
デビュー前
岡山県小田郡矢掛町で生まれ、大阪府で育つ[2]。血液型B型。浪商高等学校(現・大阪体育大学浪商高等学校)、追手門学院大学文学部英米語学文学科卒業。高校時代は水泳部、大学時代は日本拳法部で活躍し、世界選手権で4位となった[3]。
大学卒業後に体重別のボクシングを志向、大阪帝拳ジムにアマチュアとして入門した。アマ戦績は4戦4勝。
プロボクサーとして
- 1979年3月27日、プロデビュー。
- 1980年2月21日、後のWBC世界フライ級王者・小林光二をフライ級・全日本新人王決定戦で1RKO。
- 1981年4月22日、世界初挑戦。敵地でWBCスーパーフライ級王者金喆鎬(韓国)に挑むが、15回判定負け[3]。
- 1982年4月8日、2度目の世界挑戦。WBA世界スーパーフライ級王者ラファエル・ペドロサ(パナマ)に挑戦し、15回判定勝ちで世界王座獲得[3]。同王座は、グスタボ・バリャス、大熊正二、ルイス・イバネス、仙台ラミレス、権順天、セルソ・チャベス (渡辺の15回TKO勝ち)[4]、に6度の防衛に成功した[3]。
- 1984年7月5日、WBC同階級王者のパヤオ・プーンタラット(タイ)との統一戦に臨む予定であったが、WBAは統一戦の開催を認めず王座を剥奪。この幻の統一戦に12回判定勝ちし、WBC世界スーパーフライ級王座を獲得した[3]。なお、この世界戦に関しては、WBC王者のパヤオに渡辺が挑戦するという変則的な形で行われ、もしパヤオが勝利していた場合、パヤオは統一王者ではなくWBC王座のみの防衛となっていた(※当時WBAは15ラウンド制でWBCが12ラウンド制の世界戦のルールの違いが一番のネックで、そうなったとされる)。
- 1984年11月29日、防衛戦でパヤオと再戦してTKO勝ち、因縁ある両者の対決に決着をつけるかたちとなった[5]。 前記防衛戦を含め、WBC王者として4度の防衛に成功する。この間に達成した世界タイトルマッチ12連勝は、日本では具志堅用高の14連勝に次ぐ数字である。
- 1985年12月13日、韓国で開催された4度目の防衛戦で、地元の尹石煥を相手に6度のダウンを奪い5回KO勝ち。日本人世界王者として初の日本国外での世界王座防衛を果たした[3]。
- 1986年3月30日、伊丹市スポーツセンターでの5度目の防衛戦でヒルベルト・ローマン(メキシコ)に12回判定負けを喫し、世界王座陥落[3]。その後ボクシング・マガジンでボクサー志望者向けの連載を開始(後述)。
- 1991年11月8日、引退を発表。生涯戦績は28戦26勝(18KO)2敗(世界戦14戦12勝(8KO)2敗)。
- 1992年9月、大阪城ホールでのジムの後輩辰吉丈一郎の世界王座初防衛戦の前座で引退セレモニー。
- 1994年11月、後楽園ホールでカオサイ・ギャラクシー(タイ)とエキシビションマッチを行った[注釈 2]。
引退後
引退後も実業家、ボクシング解説者、講演家、テレビタレントなど多方面で活躍していた。
1995年、金融機関からの融資返済に絡む恐喝未遂事件で逮捕され、起訴猶予処分で釈放された。
1999年、殺人事件で使用された自動小銃の売買に絡み銃刀法違反で逮捕・起訴され、公判では島田紳助が情状証人として出廷したが実刑判決を受け服役、2004年に出所した。
2007年6月4日、大阪府警岸和田署に知人の暴行事件を隠匿するために被害者に被害届の提出をさせないよう迫ったとして証人等威迫の疑いで逮捕されたが、一週間後に処分保留で釈放された。日本ボクシングコミッションは、渡辺を今後一切歴代の世界王者に列しない方針でライセンスの無期限停止処分とし、ボクシング界から事実上の永久追放処分となった[6]。
2007年6月30日には羽賀研二未公開株詐欺事件に絡み恐喝未遂(二項)の疑いで逮捕・起訴され[7]、大阪地裁で無罪判決を受けるが[8][9]、2011年に大阪高裁で懲役2年の逆転有罪判決を受け上告[10]、2013年4月1日に上告が棄却され懲役2年の2審判決が確定した[11]。この事件では両者に有利な証言をした弁護側証人が偽証罪で起訴されている。この際、渡辺が指定暴力団山口組系極心連合会関係者であることが報じられた。その後、極心連合会は2019年に解散しているが、渡辺の動向については明らかにはなっていない。
2011年、島田紳助引退騒動において、芸能界引退の原因となったメールの相手は渡辺であったと報道されている[12]。
2012年11月30日、暴力団関係者であることを隠してゴルフ場を利用したとして、詐欺容疑で指定暴力団山口組最高幹部と共に逮捕された[13][14] が、12月28日に嫌疑不十分で不起訴になった[15]。
2016年2月4日、『報道ステーション』で元刑事男性の「清原和博が大阪を拠点とする元世界チャンピオンのプロボクサーから暴力団員の紹介を受けた」との証言を報じられ、その後名誉毀損に当たるとしてテレビ朝日に1千万円の損害賠償を求め提訴した。2017年6月29日に大阪地方裁判所は、過去の経歴などを基に「報じられたのが渡辺だと視聴者が連想するのは想像に難くない」としてテレビ朝日に対し150万円の支払いを命じた[16][17]。
エピソード
- ボクシング・マガジンでの連載では初期段階で「ボクサーとしての才能がないと気づいたら、やるべきではない。ボクシングの世界は弱い者ほど辛く厳しい」と現実的な意見を述べていた。また、「電車で外の景色を見て動体視力を鍛えろ」などの独自のトレーニング方法や、「汗でびしょ濡れになったTシャツは他の練習生を不快にさせるので着替えろ」などの心がけを述べており、一般的な入門書とは一線を画していた。
- ファイティング原田が十数kgの減量をしたと語っているのに対し、渡辺は「それだけ体重が増えているのは普段の節制が足りないのだから、自慢ではなくて恥じるべき」と意見したことがある。
- 渡辺の現役時代のファイティングスタイルは、「ファイティングコンピューター」と言われるほどクレバーな試合運びであった。だがそれ故に試合の盛り上がりに欠け、大きな見せ場の少ない試合も少なくなかった。
- ローマン戦の敗北後、渡辺は身体的にも問題なく復帰を目指してトレーニングを続行していたが、当時練習生であった同ジムの辰吉丈一郎とのスパーリングで辰吉の才能とセンスに驚き、それが引退のきっかけになった。現役時は一切喫煙しなかったが、引退か現役続行かを迷っている時に、ふと夜道で煙草の自動販売機を見つけて購入し、その煙草を吸った後「ああ、これでもう終わったんだなあ」とつぶやき、一筋の涙が頬を伝ったと後に語っている。
戦績
戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1979年3月27日 | ☆ | 3R | KO | 宮崎敬造 | ![]() |
プロデビュー戦 |
2 | 1979年5月19日 | ☆ | 1R | KO | 川平賀彦 | ![]() |
|
3 | 1979年7月28日 | ☆ | 1R | KO | 石井昇 | ![]() |
|
4 | 1979年11月1日 | ☆ | 6R | KO | 石井昇 | ![]() |
|
5 | 1979年12月1日 | ☆ | 1R | KO | 高木信二 | ![]() |
西日本フライ級新人王 |
6 | 1980年1月29日 | ☆ | 4R | KO | 川平賀彦 | ![]() |
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7 | 1980年2月21日 | ☆ | 1R | KO | 小林光二 | ![]() |
全日本フライ級新人王 |
8 | 1980年6月14日 | ☆ | 6R | 判定 | 曹振鉉 | ![]() |
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9 | 1980年9月2日 | ☆ | 10R | 判定 | チュクテプ・チュワタナ | ![]() |
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10 | 1980年12月15日 | ☆ | 10R | 判定 | パクタイ・リポビタン | ![]() |
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11 | 1981年4月27日 | ★ | 15R | 判定 | 金喆鎬 | ![]() |
WBC世界スーパーフライ級王座挑戦 |
12 | 1981年6月29日 | ☆ | 2R | KO | ベルリン・オリペッティ | ![]() |
|
13 | 1981年8月9日 | ☆ | 10R | 判定 | 李光錫 | ![]() |
|
14 | 1981年10月10日 | ☆ | 5R | KO | アリババ・ルークロントン | ![]() |
|
15 | 1981年11月25日 | ☆ | 4R | KO | ティト・アベラ | ![]() |
|
16 | 1982年4月8日 | ☆ | 15R | 判定 | ラファエル・ペドロサ | ![]() |
WBA世界スーパーフライ級王座獲得 |
17 | 1982年7月29日 | ☆ | 9R | TKO | グスタボ・バリャス | ![]() |
WBA防衛1 |
18 | 1982年11月11日 | ☆ | 12R | TKO | 大熊正二 | ![]() |
WBA防衛2 |
19 | 1983年2月24日 | ☆ | 8R | KO | ルイス・イバネス | ![]() |
WBA防衛3 |
20 | 1983年6月23日 | ☆ | 15R | 判定 | 仙台ラミレス | ![]() |
WBA防衛4 |
21 | 1983年10月6日 | ☆ | 11R | 負傷判定 | 権順天 | ![]() |
WBA防衛5 |
22 | 1984年3月15日 | ☆ | 15R | TKO | セルソ・チャベス | ![]() |
WBA防衛6 |
23 | 1984年7月5日 | ☆ | 12R | 判定 | パヤオ・プーンタラット | ![]() |
WBC世界スーパーフライ級王座獲得 WBA世界スーパーフライ級王座剥奪 |
24 | 1984年11月29日 | ☆ | 11R | TKO | パヤオ・プーンタラット | ![]() |
WBC防衛1 |
25 | 1985年5月9日 | ☆ | 12R | 判定 | フリオ・ソト・ソラノ | ![]() |
WBC防衛2 |
26 | 1985年9月17日 | ☆ | 7R | TKO | 勝間和雄 | ![]() |
WBC防衛3 |
27 | 1985年12月13日 | ☆ | 5R | KO | 尹石煥 | ![]() |
WBC防衛4 |
28 | 1986年3月30日 | ★ | 12R | 判定 | ヒルベルト・ローマン | ![]() |
WBC陥落 |
テンプレート |
脚注
- 注釈
- ^ 同じような状況で同年6月15日に、スーパーウエルター級のWBA王者のロベルト・デュランとWBC王者のトーマス・ハーンズとの間で試合が行われたが、こちらもWBAが統一戦の開催を認めず、デュランに対し、リングに上がった時点で即剥奪という警告がなされたが、試合は強行され警告通りデュランの王座はリングに上がった瞬間に剥奪されている。
- ^ カオサイとはWBA王者時代に対戦する(渡辺がカオサイの挑戦を受ける)話があったがパヤオとの事実上の統一戦を強行したのに伴いWBA王座を剥奪されたため、結局両者の対戦は実現しなかった。空位となったWBA王座はその後カオサイが獲得。19度の防衛に成功し7年以上王座に君臨した。
- 出典
- ^ “紳助さん うそバレた!「あるわけない」写真あった”. www.sponichi.co.jp. 2020年7月4日閲覧。
- ^ 紳助引退事件のキーマン・渡辺二郎の大阪ケンカ最強伝説 メンズサイゾー
- ^ a b c d e f g ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社 2002年
- ^ “久保隼が挑む王者セルメニョ陣営に渡辺二郎の対戦者”. 日刊スポーツ (2017年4月6日). 2022年8月17日閲覧。
- ^ a b 『名勝負伝説 日本中が感動した日』 小山唯史著 光文社 1993年
- ^ JBC 渡辺二郎被告を永久追放 スポニチアネックス 2007年7月28日
- ^ 羽賀研二容疑者らを逮捕 大阪府警、恐喝容疑で 47NEWS 2007年6月30日[リンク切れ]
- ^ 羽賀、渡辺被告に無罪、大阪地裁 被害者証言に疑い指摘 47NEWS 2008年11月8日
- ^ “羽賀研二、渡辺二郎両被告に無罪判決”. 日刊スポーツ (2008年11月28日). 2022年8月6日閲覧。
- ^ 羽賀、渡辺被告に逆転有罪 未公開株詐欺事件 47NEWS 2011年6月17日
- ^ 羽賀研二被告の逆転有罪確定へ nikkansports.com 2013年4月1日
- ^ 【裏社会の闇】島田紳助⇒渡辺二郎 週刊新潮 2011年8月25日
- ^ 元ボクシング世界王者・渡辺二郎容疑者ら逮捕 暴力団隠しゴルフの疑い 読売新聞 2012年11月30日[リンク切れ]
- ^ 山口組最高幹部、詐欺容疑で逮捕 元世界王者ボクサーも 朝日新聞 2012年11月30日[リンク切れ]
- ^ 元世界チャンプ渡辺二郎ら不起訴処分 サンケイスポーツ 2012年12月28日[リンク切れ]
- ^ “名誉毀損でテレ朝に賠償命令 渡辺二郎氏訴え認める”. 日刊スポーツ. (2017年6月29日) 2017年6月29日閲覧。
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、|newspaper=
引数が重複しています。 (説明)⚠ - ^ “「清原氏に組員紹介」におわせた報道ステーションは「名誉毀損」 渡辺二郎氏の訴え認め、テレ朝に150万円賠償命令”. 産経新聞社. (2017年6月29日) 2017年6月29日閲覧。
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引数が重複しています。 (説明)⚠
関連項目
外部リンク
前王者 ラファエル・ペドロサ |
WBA世界ジュニアバンタム級王者 1982年4月8日 - 1984年7月5日(剥奪) |
空位 次タイトル獲得者 カオサイ・ギャラクシー |
前王者 パヤオ・プーンタラット |
WBC世界ジュニアバンタム級王者 1984年7月5日 - 1986年3月30日 |
次王者 ヒルベルト・ローマン |
渡邊二郎
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渡邊 二郎(わたなべ じろう、1931年10月15日 - 2008年2月12日)は、日本の哲学者、ドイツ哲学の研究者。東京大学名誉教授。放送大学名誉教授[1][2]。専攻は、西洋近現代哲学、現象学。東京大学で博士号(文学、1963年)。
ドイツ観念論、実存主義、解釈学、フッサール、ハイデッガー等についての研究が多数あり、フッサールの『イデーン』、ハイデガーの『存在と時間』など多くの哲学原典の翻訳を行っている。
東京都出身。1991年7月から1995年6月まで日本哲学会の会長を務め、1996年から1999年まで日本シェリング協会の会長を務めた。没後に弟子たちの編集で「著作集」が刊行された。
学歴
- 1953年:東京大学文学部哲学科卒業
- 1958年:東京大学大学院人文科学研究科哲学専門課程博士課程単位修得退学
職歴
- 1958年:成城大学文芸学部専任講師を経て同助教授
- 1964年:東京大学文学部助教授
- 1978年:東京大学文学部教授
- 1992年:東京大学名誉教授
- 1992年:放送大学教授
- 2001年:放送大学名誉教授[1][2]
著書
-
- ※は電子書籍も刊
単著
- 『ハイデッガーの実存思想』 勁草書房、1962年
- 『ハイデッガーの存在思想』 勁草書房、1962年
- 『ニヒリズム-内面性の現象学』 東京大学出版会、1975年
- 『構造と解釈』 放送大学、1989年/ちくま学芸文庫、1994年
- 『現代哲学 英米哲学研究』 放送大学、1991年/改題『英米哲学入門』 ちくま学芸文庫、1996年
- 『芸術の哲学』 放送大学、1993年/ちくま学芸文庫、1998年
- 『現代の思想的状況 歴史の哲学』 放送大学、1995年/改題『歴史の哲学-現代の思想的状況』 講談社学術文庫、1999年
- 『哲学入門』 放送大学、1996年/改題『はじめて学ぶ哲学』 ちくま学芸文庫、2005年
- 『人生の哲学』 放送大学、1998年/角川ソフィア文庫、2020年※
- 『美と詩の哲学』 放送大学、1999年
- 『現代人のための哲学』 放送大学、2000年/ちくま学芸文庫、2005年
- 『現代の哲学』 放送大学、2001年
- 『自己を見つめる』 放送大学、2002年/左右社 放送大学叢書、2009年、増補版 2021年※
- 『ハイデッガーの「第二の主著」『哲学への寄与試論集』研究覚え書き―その言語的表現の基本的理解のために』理想社、2008年
著作集
- 『渡邊二郎著作集』 筑摩書房(全12巻)。2010年10月から翌11年にかけ毎月1冊刊行。
- 『ハイデッガーI』 ※初回配本
- 『ハイデッガーII』
- 『ハイデッガーIII』
- 『ハイデッガーIV』 ※最終回配本
- 『フッサールと現象学』
- 『ニーチェと実存思想』
- 『ドイツ古典哲学I』
- 『ドイツ古典哲学II』
- 『解釈・構造・言語』
- 『芸術と美』
- 『歴史と現代』
- 『自己と世界』
共編・編著
- 共著『西洋思想の流れ』 東京大学出版会、1964年/同・UP選書、1971年
- 『世界の思想家17 ニーチェ』 平凡社、1976年/『ニーチェ・セレクション』 平凡社ライブラリー、2005年※
- 『ハイデガー「存在と時間」入門』 有斐閣・有斐閣選書、1980年/改訂・講談社学術文庫、2011年
- 西尾幹二共編『ニーチェ物語-その深淵と多面的世界』 有斐閣・有斐閣ブックス、1980年/『ニーチェを知る事典』ちくま学芸文庫、2013年
- 泉治典共編『西洋における生と死の思想-西洋精神史入門』 有斐閣・有斐閣選書、1983年
- 『テキストブック西洋哲学史』 有斐閣・有斐閣ブックス、1984年
- 『現代文明と人間』 理想社、1994年
- 山口和子共編『モデルネの翳り シェリング『自由論』の現在』 晃洋書房、1999年
訳書
- 『哲学者の書 ニーチェ全集 第3巻』 理想社、1965年/ちくま学芸文庫、1994年
- ハイデッガー『存在と時間』 原佑と共訳、中央公論社「世界の名著」、1971年、新版・中公バックス、1980年/中央公論新社・中公クラシックス 全3巻、2003年※
- シェリング『人間的自由の本質』 中央公論社「世界の名著」、1974年
- ヤスパース『哲学』 小倉志祥・林田新二 共訳、中央公論社「世界の名著」、1976年/新編・中公クラシックス、2011年※
- フッサール『イデーン 純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想 I‐1・2 純粋現象学への全般的序論』 みすず書房、1979-1984年
- ヤスパース『ハイデガーとの対決』ハンス・ザーナー編、児島洋・立松弘孝・寺邑昭信 共訳、紀伊國屋書店、1981年、新版1999年
- ヤスパース『哲学の世界史序論』 ザーナー編、共訳、紀伊國屋書店、1985年
- 『ハイデッガー=ヤスパース往復書簡 1920-1963』 ビーメル/ザーナー編、名古屋大学出版会、1994年
- ハイデッガー『「ヒューマニズム」について』 ちくま学芸文庫、1997年
- フッサール『イデーン III 現象学と、諸学問の基礎』 千田義光 共訳、みすず書房、2010年
脚注
- ^ a b 放送大学広報誌 ON AIR No.67 (PDF)
- ^ a b 放送大学広報誌 ON AIR No.91 (PDF)
関連項目
- 日本の哲学者(一覧)
固有名詞の分類
- 渡辺二郎のページへのリンク