田沢智治とは? わかりやすく解説

田沢智治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 14:29 UTC 版)

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田沢智治
たざわ ともはる
生年月日 1932年11月23日
出生地 神奈川県横浜市
没年月日 (2006-11-21) 2006年11月21日(73歳没)
死没地 東京都文京区
出身校 日本大学法学部
前職 日本大学評議員
所属政党 自由民主党
称号 正四位
旭日重光章

第60代法務大臣
内閣 村山改造内閣
在任期間 1995年8月8日 - 1995年10月9日

選挙区 全国区→)
比例区
当選回数 3回
在任期間 1980年7月8日 - 1998年7月25日
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田沢 智治(たざわ ともはる、田澤 智治、1932年(昭和7年)11月23日 - 2006年(平成18年)11月21日)は、日本政治家位階正四位勲等旭日重光章参議院議員法務大臣日本大学理事、日本会理事長を歴任。

来歴・人物

神奈川県横浜市出身。1956年日本大学法学部を卒業。日大会頭・古田重二良の懐刀である。

日大評議員などを経て、1980年第12回参議院議員通常選挙自由民主党公認で全国区から出馬し、初当選。その後、比例区から立候補して、連続当選3回。党内では福田派→安倍派→三塚派に所属。

第2次中曽根内閣 (第1次改造)通商産業政務次官、参議院文教委員長を経て、1995年の8月に村山改造内閣法務大臣として初入閣したが、かねてから親密な関係にあった立正佼成会からの2億円借り入れ問題が発覚した。当時野党第一党だった新進党に対し、代表質問でこの問題を取り上げないよう裏取引しようとした疑惑も浮上し、わずか2ヶ月で辞任に追い込まれた。法相在任期間が短かった為、死刑執行起案書はまわってこなかった。

1998年第18回参議院議員通常選挙で落選し政界引退。

2006年11月21日午前5時8分、間質性肺炎の為、東京都文京区の病院で死去[1]正四位に叙された。

略歴

脚注

[脚注の使い方]

関連項目


公職
先代:
前田勲男
法務大臣
第60代:1995年
次代:
宮澤弘
議会
先代:
仲川幸男
参議院文教委員長
1987年 - 1988年
次代:
杉山令肇
先代:
田代由紀男
参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長 次代:
福田宏一




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